パーキンズ準男爵

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パーキンズ準男爵(パーキンズじゅんだんしゃく、: Parkyns baronets)は、イングランドの準男爵位。1681年に創設され、1926年に休止となった。

歴史[編集]

ノッティンガムシャー出身のトマス・パーキンズ(1639–1684)ノッティンガムシャー州長官英語版を務めた後、1681年5月18日にイングランドにおける準男爵に叙された[1]。その息子である2代準男爵トマス・パーキンズ英語版(1662–1741)もノッティンガムシャー州長官を務めた[2]。彼は数学水理学建築学文法学など多岐にわたる知識を有し、特にレスリングに詳しく、レスリングに関する著作を著した[2]

3代準男爵トマス・パーキンズ(1728–1806)もノッティンガムシャー州長官を務めた[2]。その長男であるトマス・ブースビー・パーキンズ英語版(1755–1800)ホイッグ党所属の政治家であり、1784年から1800年まで庶民院を務め、1795年10月3日にアイルランド貴族であるランクリフ男爵に叙されたが、父に先立って死去した[3]

その息子にあたる2代男爵ジョージ・オーガスタス・ヘンリー・アン・パーキンズ英語版(1785–1850)は父から男爵位を、祖父から準男爵位を継承し、父と同じくホイッグ党の政治家として庶民院議員を務めた[3]。彼には嫡子がおらず、その死をもってランクリフ男爵位が廃絶した[4]。準男爵位は叔父の息子にあたるトマス・ジョージ・オーガスタス・パーキンズ(1820–1895)が継承した[5]

5代準男爵の息子にあたる6代準男爵トマス・マンスフィールド・フォーブズ・パーキンズ(1853–1926)は娘しかもうけず、1926年に死去すると準男爵位が休止となった[6]。ただし、同時代の『バーク貴族名鑑英語版』(第92版、1934年)では3代準男爵の弟の来孫エドウィン・ガーリング・テリット・パーキンズ(1890–1975)(1934年当時、オーストラリアニューサウスウェールズ州リヴァプール英語版に在住)をはじめとする継承権者の存在に言及しており[6]、2019年版『デブレッツ貴族名鑑』ではエドウィン・ガーリング・テリット・パーキンズの息子ガーリング・アルフレッド・パーキンズ(1913–1984)の息子が存命だとした[7]

(バニー・パークの)パーキンズ準男爵(1681年)[編集]

ランクリフ男爵(1795年)[編集]

(バニー・パークの)パーキンズ準男爵(1681年、復帰)[編集]

  • 第5代パーキンズ準男爵サー・トマス・ジョージ・オーガスタス・パーキンズ(1820年 – 1895年)
  • 第6代パーキンズ準男爵サー・トマス・マンスフィールド・フォーブズ・パーキンズ(1853年 – 1926年)

出典[編集]

  1. ^ Cokayne 1904, p. 115.
  2. ^ a b c Cokayne 1904, p. 116.
  3. ^ a b Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1945, p. 729.
  4. ^ Cokayne, Doubleday & Howard de Walden 1945, p. 730.
  5. ^ Cokayne 1904, p. 117.
  6. ^ a b Burke & Burke 1934, p. 1856.
  7. ^ Morris, Susan; Bosberry-Scott, Wendy; Belfield, Gervase, eds. (2019). Debrett's Peerage and Baronetage (英語). London: Debrett's. p. 9405. ISBN 978-1-999767-0-5-1

参考文献[編集]